
明日は一月七日。
七草粥の日である。
この日が近づくと、鹿児島で「七宴(ななっげ)」と呼ばれていた行事のことを、私はよく思い出す。
「七所貰い(ななとこもらい)」とも言われていたが、私の記憶の中では、確かに「ななっげ」だった。
七歳という節目
鹿児島では、一月七日に「七草祝い」と呼ばれる行事があり、その一つの姿を指して「七宴」「七所貰い」と呼んでいたようだ。
対象となるのは、数え年で七歳になる子ども。
男の子も女の子も、この年に「七つのお祝い」を受ける。
今でこそ七歳は通過点のような年齢だが、かつては、無事に育ったことをはっきりと祝う節目だったのだろう。
新しい服と、母と歩いた道
私は、この行事をよく覚えている。
七歳の年、
新しい服を買ってもらい、母と一緒に家を出た。
服の手触りや、少し誇らしく、少し落ち着かない気分。
意味など、まったく分かっていなかった。
なぜ七歳なのか、
なぜ七軒なのか、
そんなことを考える年齢でもなかった。
ただ、「今日は特別な日だ」ということだけは、はっきり分かっていた。
七軒の家を回る
お椀や重箱を手に、母と一緒に近所の家を回る。
一軒、また一軒。
それぞれの家で、少しずつ違う声、違う表情があった。
そこで分けてもらうのが、七草粥、あるいはナンカンズシ――
「七日の雑煮」とも呼ばれるものだった。
七軒(七所)を回って、七草をもらう。
その行為から、「七所貰い」という呼び名が生まれたのだろう。
七日目に、初めての青物
鹿児島では、正月の七日間は青物――葉物野菜を食べない習慣があった、とも言われている。
一月七日は、その物忌みが明ける日であり、若菜を初めて口にする日でもあった。
七草を入れたナンカンズシは、若菜を用いた雑煮である。
ただし、一般的な雑煮とは少し違い、餅米が多く、柔らかく練ったような、粥と餅の中間のような食べ物だった。
あまり好きではなかった味
正直に言えば、子どもの頃の私は、このナンカンズシがあまり好きではなかった。
雑煮と言われても、思っている雑煮とは違う。
少し、もったりとしていて、
子どもには、どうにも掴みどころのない味だった。
この年に数え年七歳になる子を持つ家では、七草祝いを行い、
子どもは晴れ着を着て七軒の家を回り、七草雑煮――
ナナトコズシ(七所雑煮)をもらって食べる。
それを食べると、
「その力で健康に育つ」
そう言われていたらしい。
意味を知らずに受け取っていたもの
当時の私は、そんな意味があるとは知るよしもなかった。
新しい服を着て、母の隣を歩き、
言われるままに椀の中身を口に運んでいただけである。
今になって思えば、
七宴(ななっげ)とは、子どもが地域の中で「祝われる側」になる、最初の通過儀礼だったのかもしれない。
家族だけではなく、
近所の人たち全体が、
「ここまで無事に育ったね」と、そっと手渡してくれる時間。
意味を知らずに、確かに受け取っていたものが、そこにはあった。
一月七日。
七草粥を前にすると、
あまり好きではなかったナンカンズシの感触と、
母の横顔が、静かによみがえってくる。