「おーいおいどん」の家庭菜園・園芸・地域情報

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七所貰いができなくなった村で

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――民俗辞典の一項目から考えたこと

正月七日、七草粥の日である。
この日に合わせるように、民俗辞典をめくっていて、
「七所貰い(ななとこもらい)」という項目に目が止まった。

以下は、民俗関係の辞典に記されている記述をもとにした要約である。

七所貰いという習俗

七所貰い(ななとこもらい)とは、四国や九州に伝わる習俗で、
子どもが七歳になる正月七日に、七草雑炊や餅を近隣七軒から少しずつもらい集め、
それを食べさせる行いをいう。
こうすると、子どもが病気をせず、じょうぶに育つと信じられてきた。

同様の習俗は、他の地域にも見られる。

北秋田では、三十三軒から余り切れをもらい集め、
それを縫い合わせて着物を仕立て、子どもに着せるとよく育つとされた。
また関東地方には、百所集め、あるいは百所きものと呼ばれる、
多くの家から布を集める風習が伝えられている。

戦争中に盛んに行われた千人針も、
弱い者や危機にある人のために、多人数の力を合わせ、
無事に危機を脱することを願った呪願であり、
その発想は七所貰いと共通している。

「初鉄漿」にも見られる同じ発想

食べ物や布切れに限らず、
女性がお歯黒をしていた時代には、
初めて**初鉄漿(かね)**をつける際、
近所七軒から五倍子粉をもらい集めて行う
「七軒初鉄漿」と呼ばれる風習もあったという。

これもまた、同一の動機から生じたものと考えられている。

なお、七軒初鉄漿にしても、雑炊の七所貰いにしても、
七軒の中に川を渡った家を入れてはならないとされた。
それは、距離の近い家ほど、合力の効果が大きいと考えられていたからだろう。

――ここまでが、民俗辞典に記された説明である。

七軒あった場所の、今

さて、ここからは私自身の話になる。

小さい頃、私の住んでいたところには、
ちょうど七軒の家があった。
数えなくても分かるほど、互いの暮らしが見える距離だった。

だが今、そこに残っているのは一軒だけである。
若い人は皆、都会へ出て行った。
帰ってこない、というより、帰れない。
仕事をする企業がないのだから、仕方のないことだ。

もし今、私の故郷で七歳になる子どもがいたとしても、
七所貰いはできないだろう。
七軒がない。
「もらいに行く所」そのものが、もう存在しない。

合力とは何だったのか

では、現代の七所貰いは、どうなっているのだろう。

百所集めが「百の家」を意味していたように、
七所貰いもまた、数ではなく、
関係の近さを集める行為だったはずだ。

遠く離れた百の所より、
歩いて行ける七つの所。

合力とは、人数の問題ではなく、
距離と関係の問題だったのかもしれない。

一月七日に思うこと

正月七日。
七草粥の日の朝、民俗辞典の一項目を読み返しながら、
もう行うことのできなくなった七所貰いのことを考えている。

七軒という数が意味を持った時代、
歩いて行ける距離に「所」があり、
そこには顔と名前の分かる関係が、確かに結ばれていた。

合力とは、人数の問題ではなく、
距離と関係の問題だったのかもしれない。

一月七日という日に、
そんなことを、静かに思っている。

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