新聞を開いて、ふと目に止まった小さな記事に、思わず二度見しました。
「ボンタンアメ100周年記念缶、発売」ーー。
まさか、福井の新聞で、鹿児島の味と再会するとは。
しかも、100年。
そんなに長いあいだ、あのやさしい甘さは、誰かの暮らしの中にあったんだと思うと、胸がいっぱいになりました。
私にとってボンタンアメは、子どものころのささやかなごちそう。
貧しかったけれど、たまに手に入ると嬉しくて、大事に大事に食べていたあの味です。
その懐かしさと驚きを、今日はブログに綴っておこうと思います。
■ 福井新聞に載っていた「ボンタンアメ100周年記念缶」
2025年4月15日付の福井新聞に、こんな記事が載っていました。
「鹿児島市のセイカ食品が製造・販売する銘菓『ボンタンアメ』が、今年で100周年を迎えたことを記念し、発売当初のデザインを再現した『ボンタンアメ100周年記念缶』が数量限定で販売されています。
記念缶には、1925年の発売時と同じく、鹿児島特産のかんきつ類『ボンタン』のイラストがあしらわれています。
現在のパッケージは写真に変更されています。
この記念缶は全国のスーパーやコンビニで取り扱われており、価格はオープン価格で想定価格は非公表となっています。
担当者は『食べ終わった後も、缶を小物入れなどに使って楽しんでほしい』と述べています。」(福井新聞2025年4月15日掲載)
記事を読んで、あのやわらかなオブラートに包まれたアメの味と、独特の香りが頭にふわっとよみがえりました。
ボンタンアメが100周年。
こんなに長いあいだ、愛されていたなんて、本当に驚きです。
■ 鹿児島の味に、福井で再会するという不思議
私は鹿児島の田舎で育ちました。
灰の降る中、畑を駆け回っていた子ども時代。
お菓子といえば、そう頻繁に買ってもらえるものではありませんでした。
だからこそ、ボンタンアメの味は特別でした。
たしか、誰かの法事の引き出物に入っていたり、運動会のおやつに混ざっていたり。
年に何度かのご褒美のような存在だったと思います。
そんな鹿児島の味が、今、福井で暮らしている私の目の前に「新聞記事」として登場するとは思ってもみませんでした。
遠く離れたこの地でも、ボンタンアメの話題に触れられるということが、なんとも不思議で、どこか嬉しくて。
■ 「懐かしい」は、人生の宝物
私にとって、ボンタンアメは「懐かしい味」というだけではありません。
子どもの頃の風景や、家族とのやりとり、当時の生活の匂いまで一緒に思い出させてくれる存在です。
あの薄い紙のようなオブラート。
指にくっついてもどかしくて、でもそれを舌で溶かすのもまた楽しみで。
少し硬めのもちっとした食感。
食べるたびに「これは普通のアメとは違う、特別なものなんだ」と思っていた気がします。
懐かしさとは、心の奥にそっと仕舞われていた思い出を、ふいに引き出してくれる魔法のようなもの。
それに触れたとき、人はほんの少しだけ、やさしくなれる気がします。
■ 見かけたら、また買いたい。できれば記念缶を
記事によれば、「ボンタンアメ100周年記念缶」は数量限定で、全国のスーパーやコンビニで取り扱われているそうです。
私の近くのスーパーで見つかるかどうかは分かりませんが、もし見かけたら、きっと手に取ると思います。
できれば、100年前のパッケージ缶が欲しい。
食べ終わったあと、小物入れにして残しておけるなんて、それもまた素敵な話です。
懐かしさを、手元に置いておけるというのは、幸せなことかもしれません。
結びに
福井で暮らしている今、まさか鹿児島の味に新聞を通して再会するとは思いませんでした。
それが「ボンタンアメ」という、心に残るお菓子だったことが、なんだかとても嬉しくて。
100年続いてきたボンタンアメ。
これからも、どこかで誰かの思い出にそっと寄り添うお菓子であり続けてほしいと、心から願っています。